未経験でフィリピンに渡って、マーケティング事業を一人で立ち上げた話

未経験でフィリピンに渡って、マーケティング事業を一人で立ち上げた話 経験談

「未経験でも海外でマーケティングの仕事なんてできるんですか?」と聞かれることがある。答えは、できる。ただし、できるまでの過程はかなり泥臭い。今回は、未経験のままフィリピンに渡り、オンライン教育事業のマーケティングを一人で立ち上げた実体験を、恥ずかしい失敗も含めて振り返ってみる。

以前の記事(未経験から、飛び込み営業→代理店営業→海外でWebマーケターになるまで)では、経歴全体をざっくり紹介した。今回はその中でも「海外で、マーケティングを未経験から立ち上げる」というピンポイントの部分を、もう少し解像度高く掘り下げていく。

なぜ未経験なのに、海外事業立ち上げにチャレンジしたのか

正直に言うと、当時の自分にマーケティングの専門知識は皆無だった。広告運用もSEOもSNS運用も、言葉は知っていても実際にやったことはなかった。それでも手を挙げた理由は、シンプルに「今の環境を変えたい」という気持ちが、知識不足への不安を上回っていたからだ。今振り返ると、かなり無鉄砲な判断だったと思う。周りからは「本当に大丈夫なのか」と心配された記憶があるし、自分でもたまに真夜中に不安で目が覚めていた。

ただ、この無鉄砲さがなければ、今こうしてこの記事を書いていることもなかったはずだ。石橋を叩いて渡るタイプの人には、あまり参考にならない話かもしれない。むしろ「勢いで動いてから後悔するタイプ」の人にだけ、そっと寄り添える記事だと思っている。

渡航初日、いきなり突きつけられた現実

意気込んで現地に着いたはいいものの、初日から突きつけられたのは「何から手をつければいいか、誰も教えてくれない」という現実だった。日本にいた頃は、上司や先輩に聞けば大体のことは解決した。しかし現地では、マーケティングに詳しい人間がそもそもいない。頼れる先輩がいないというのは、想像していた以上にきつかった。デスクに座って、パソコンを開いて、そして固まる。そんな時間が最初の数日、確実に存在した。

さらに追い打ちをかけたのが、生活面の孤独感だ。シェアハウスでの共同生活は、日本の感覚とはまるで違った。食事の時間も、他人との距離感も、価値観も、何もかもが違う。最初の1週間は、正直「これは失敗したかもしれない」と何度も思った。今だから笑い話にできるが、当時は真剣に落ち込んでいた。夜、一人で天井を見ながら「日本の定食屋のご飯が恋しい」と本気で考えていた記憶がある。

追い打ちをかけたのが、コロナ禍という状況そのものだった。ただでさえ異国で孤独だったところに、外出も制限され、人と会う機会自体がほとんどなくなった。仕事終わりに誰かと雑談する、ふらっと外に出て気分転換する、といった当たり前の発散方法が軒並み封じられた状態だった。正直、あの時期の孤独感は、今振り返っても人生の中でかなり上位に入る。狭い部屋で一人、パソコンの画面だけを見つめている時間が長く続いた。

予算はほぼゼロ、それでも成果を求められる矛盾

現実的な話をすると、立ち上げ初期の予算は驚くほど少なかった。大手企業のように、潤沢な広告予算をかけてブランディングから入る、という贅沢は許されなかった。少ない予算で、いかに成果を出すかという、かなり泥臭い戦い方を強いられることになる。

この制約の中で学んだのは、「お金をかけられないなら、時間と工夫をかけるしかない」という当たり前の事実だった。広告費を大きく使えない分、無料でできる施策(SNS運用、既存リストへのアプローチ、地道なSEO対策)を徹底的にやり込む必要があった。今思えば、この制約があったからこそ、小手先ではない基礎的なマーケティング力が鍛えられたのかもしれない。もちろん、当時はそんな前向きな解釈をする余裕は一切なかったが。

具体的には、無料で使えるSNSの分析機能を毎日チェックして、どの時間帯にどんな投稿が反応されるかをひたすら記録した。広告に頼れない分、地道な検証を繰り返すしかなかった。今でこそAIに「この投稿データから傾向を分析して」と一瞬で頼めるが、当時はエクセルに手打ちで数字を打ち込んで、自分の目で傾向を探る日々だった。効率で言えば圧倒的に非効率だったが、この泥臭い検証の積み重ねが、後の判断力の土台になったのは間違いない。

手探りで学んだ、広告運用・SEO・SNS運用

そんな状態からのスタートだったので、最初にやったことは「とにかく手を動かして覚える」だった。広告運用は、少額から自分で予算を出して回してみて、数字の動き方を体感的に覚えた。SEOも、専門書を読みながら実際にサイトの構造をいじって、検索順位の変化を見て検証する、という地道な繰り返しだった。SNS運用に至っては、最初の投稿がどれだけ反応が薄かったか、今思い出しても恥ずかしくなる。当時のいいね数を今振り返ると、正直二桁いけば快挙だった。

この経験から言えるのは、「体系立てて学ぶ環境がない状態」で学ぶことの大変さだ。以前の記事(AIスクールの選び方)で、スクールが提供する価値として「体系立ったカリキュラム」を挙げたが、これはまさに、自分がその価値を持たない状態で苦労した経験から出てきた視点だ。あの頃、今のようにAIに「学ぶべき順番を整理して」と聞ける環境があれば、どれだけ遠回りを減らせただろうと本気で思う。

初めての英語交渉、手が震えた話

事業を進める中で避けて通れなかったのが、現地スタッフや取引先との英語でのやり取りだった。決して英語が得意なタイプではなかったので、最初の交渉の場では、正直手が震えていたのを今でも覚えている。事前に用意した想定問答も、実際の会話のスピードにはまるで対応できず、頭が真っ白になった瞬間もあった。相手の質問に、とりあえず”Yes”と答えてしまい、後から内容を確認して「まずいことに同意してしまったかもしれない」と冷や汗をかいたことも一度や二度ではない。幸い、致命的な失敗には繋がらなかったが、今思い出しても背筋が少し冷える記憶だ。

面白いのは、あれだけ緊張していた交渉も、回数を重ねるうちにだんだん平気になっていったことだ。慣れというのは怖いもので、ある時期を境に「まあなんとかなるか」という謎の余裕すら生まれてくる。不安の9割は、実際にやる前の想像でしかなかった、というのが今の実感だ。とはいえ、当時の自分に「大丈夫、慣れるから」と言ってあげても、多分信じてもらえなかったと思う。

現地スタッフのマネジメントで学んだ「個別化」という視点

事業が少しずつ形になってくると、現地スタッフのマネジメントという新しい課題にもぶつかった。日本で見てきたマネジメントのやり方を、そのまま現地に持ち込んでもうまくいかない場面が何度もあった。文化的な背景も、仕事に対する価値観も違う中で、画一的なマネジメントでは通用しないことを、何度も痛い目を見ながら学んでいった。

最終的にたどり着いたのが、「一人ひとりに合わせて接し方を変える」という、言葉にすると当たり前すぎる結論だった。ただ、この当たり前にたどり着くまでに、それなりの数の失敗を積み重ねる必要があった。マネジメントに正解のテンプレートはなく、目の前の相手をよく見ることでしか、答えは見つからないのだと痛感した経験だった。

シェアハウスでの共同生活自体からも、似たような学びがあった。国籍も価値観もバラバラな人たちと生活する中で、自分の当たり前が相手には全く通用しないという場面に何度も直面した。例えば、食事の時間ひとつとっても、みんなで揃って食べる文化を当然と思っていたが、実際はバラバラのタイミングで各自が食べる方が自然、という空気だったりする。小さなズレの積み重ねが、最初はかなりのストレスだったが、慣れてくると「郷に入っては郷に従え」を体で覚えていく感覚に近かった。

この経験は、後にオンライン教育事業のカリキュラム設計にも活きている。以前の記事で触れた「受講者一人ひとりの離脱防止」という視点も、元をたどればこの現地スタッフマネジメントの経験から来ている。失敗を無駄にしなかった、と言えば聞こえはいいが、実際は失敗しすぎて他に活かすしかなかった、というのが本音に近い。

0→1の立ち上げで、一番大変だったこと

振り返って一番大変だったことを一つだけ挙げるとしたら、「正解を教えてくれる人が誰もいない」という状態そのものだったと思う。日本での仕事は、良くも悪くも、先人が作ったやり方や仕組みの上に乗って進められることが多い。しかし0→1の立ち上げは、その土台自体を自分で作る作業だ。何が正しいのか誰も保証してくれない中で、決断を下し続ける必要がある。

もう一つ大変だったのは、成果が出るまでの期間、自分自身の存在価値を証明し続けなければならないという重圧だった。目に見える数字がなかなか出ない時期、「本当にこの人選は正しかったのか」と周囲から思われているのではないかという不安が常につきまとっていた。実際にそう言われたわけではないのだが、勝手にプレッシャーを感じて、一人で空回りしていた時期もある。振り返れば、そのプレッシャーの大半は自分で作り出した幻だったのだが、渦中にいるときはそれを客観視する余裕などまったくなかった。

未経験からの立ち上げで、実際に役立った考え方

ここまでの経験を振り返って、未経験から何かを立ち上げる際に役立ったと思う考え方を、いくつか整理しておく。

まず、完璧な準備を待たずに動き出すこと。知識が完璧に揃うタイミングなど、いつまで経っても来ない。むしろ、動きながら足りない部分を埋めていく方が、結果的に早く前に進める。

次に、失敗を記録しておくこと。当時は余裕がなくて記録どころではなかったが、今振り返ると、あの時期の失敗の一つひとつが、今の判断軸の材料になっている。もし今同じ立場に戻れるなら、失敗した瞬間にすぐメモを取る習慣だけは持っておきたい。

最後に、頼れる情報源を自分で作ること。当時は頼れる先輩がいなかったが、今の時代ならAIという壁打ち相手がいる。分からないことをその場で整理して聞ける相手がいるだけで、当時の自分が抱えていた孤独感はかなり軽減されていたはずだ。今の若手がうらやましいと思う数少ない瞬間がここにある。

もう一つ付け加えるなら、孤独を一人で抱え込まないこと。当時の自分は、弱音を吐くこと自体が甘えだと思い込んでいた節がある。今なら、周りに頼れる人がいなくても、AIに状況を整理して吐き出すだけでも、気持ちの負担はかなり違ったのではないかと思う。壁打ち相手は、必ずしも人間である必要はない。それに気づけただけでも、今こうしてブログを書いている意味があると思っている。

今日、確認しておきたいこと

未経験から何かを立ち上げるのは、正直かっこいい話ばかりではない。孤独な夜も、震える交渉も、恥ずかしい失敗も、全部セットでついてくる。それでも、今こうして振り返ると、あの経験がなければ今の自分はいなかったと思える。

もし今、未経験の分野に飛び込もうか迷っている人がいたら、完璧な準備を待つ必要はないということだけは伝えたい。動きながら学ぶ方が、結果的に早い。そして、当時の自分よりも今の方が、AIという頼れる壁打ち相手がいる分、間違いなく恵まれている。その環境を使わない手はない。今日、何か新しいことに踏み出そうか迷っているなら、まずは小さく一歩だけ動いてみてほしい。動いてみて分かることの方が、考えているだけで分かることより、圧倒的に多い。

ちなみに、あの頃震えていた英語交渉も、シェアハウスの共同生活も、今となっては笑い話として人に話せるネタになっている。渦中にいるときはしんどいことばかりでも、時間が経てば大抵のことはネタに変わる。そう思うと、今つらい状況にいる人にも、意外と気が楽になる話かもしれない。

Webマーケター / AI活用ブロガー

新卒で福利厚生アウトソーシング企業に入社し、法人営業として1日100件以上の飛び込み営業を経験。その後LINE株式会社で代理店営業に従事し、新規事業の立ち上げノウハウを学ぶ。2020年、未経験のままフィリピンへ移住し、オンライン教育事業のWebマーケティングを一人で担当することに。広告運用・SEO・SNS運用・LP制作などを実務で習得しながら、事業をゼロから育ててきた。現在は同社の経営陣として、セールス・マーケティング・カスタマーサクセスを統括している。本ブログでは、実務で得た知見をもとに、AI活用・副業・スクール選びについて発信中。

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