未経験から、飛び込み営業→代理店営業→海外でWebマーケターになるまで

ャリアのあゆみ 経験談

肩書きだけを見れば、それなりに順調なキャリアに見えるかもしれない。法人営業から代理店営業、そして未経験のままフィリピンでWebマーケティングの立ち上げに携わり、今は経営に近い立場で仕事をしている。

ただ、実際に歩いてきた過程は、順調とは程遠かった。名刺を投げ捨てられたこともあれば、海外で誰とも会えない孤独を味わったこともある。今日は、これまでのキャリアの中で特に印象に残っている場面を、時系列で振り返ってみる。普段このブログではAI活用や副業、スクール選びについて発信しているが、今回はあえて数字や手法の話から離れて、自分自身の歩みそのものを書いてみたい。

新卒1年目、1日100件の飛び込み営業で心が折れかけた話

新卒で入った会社では、法人向けの飛び込み営業を担当した。1日100件近くの企業を訪問する日々で、当然ながら歓迎されることの方が少ない。名刺をその場で投げ捨てられたことも、持参した見積書や資料をその場で破られたこともある。

正直に言うと、この時期は何度も心が折れかけた。訪問した瞬間に断られることが続くと、自分自身の存在を否定されているような感覚になる。朝、会社を出る前に「今日もまた同じことの繰り返しだろう」と分かっていながら、それでも次の企業のドアをノックしなければならない。この繰り返しが、精神的にじわじわと削られていく感覚だった。

それでも毎日100件近く回り続けたのは、単純に「他にやり方を知らなかったから」という理由が大きい。器用に効率化する方法も、断られない話し方のコツも知らないまま、とにかく数をこなすしかなかった。ただ、この経験のおかげで、断られること自体への耐性がついたのは間違いない。今振り返ると、この時期に身についた「断られても崩れない」という感覚は、後のどの仕事にも共通して役に立っている。ちなみに、この地道な営業活動は社内の評価にもつながり、プレゼン大会で上位の成績を残すこともできた。しんどい経験の中にも、確かに積み上がっているものがあった。

「LINE」という看板を外したとき、自分に何が残るか

その後、LINE株式会社に転職し、代理店営業として、店舗向けのマーケティングツールの代理店管理や新規開拓を担当した。誰もが知る大手企業で働くという経験は、それ自体が学びの連続だった。組織の仕組み、意思決定のスピード、大きな看板を背負って仕事をすることの意味。1社目では得られなかった種類の経験を、たくさん積むことができた。1社目が個人プレー中心の泥臭い営業だったのに対し、2社目では組織として動く仕組みそのものを学べたのが大きな違いだった。

ただ、働いているうちに、ある違和感が芽生え始めた。周囲から「いい会社に入ったね」と言われる機会が増えるほど、「LINEという看板を外したとき、自分に何が残るのか」という問いが頭から離れなくなっていったのだ。

名古屋の代理店を、ゼロから一緒に育てた経験

LINE時代の仕事の中でも、特に印象に残っているのが、名古屋エリアの代理店を担当していたときの話だ。LINE公式アカウントを飲食店などに導入してもらう代理店契約を結んでいる会社があり、その代理店の立ち上げから伴走する役割を任されていた。東京から名古屋へは月に2回ほど出張し、関係性の構築から、実際に成果を出すための営業体制づくり、営業マネジメントまで、外部の会社に対して一緒に作り上げていく仕事だった。

この代理店は、最初は実績がほとんどない状態からのスタートだった。それが少しずつ目標を達成できるようになり、会社自体も大きくなって、LINE公式アカウントの獲得実績も伸びていった。担当していた方や社長から「あなたのおかげだ」と言ってもらえたことは、今でも強く印象に残っている。誰かの事業がゼロから育っていく過程に、外部の立場から関わらせてもらえた経験は、後にフィリピンで自分自身が事業を立ち上げる際の土台にもなったと思う。

一方で、反省すべき経験もある。LINEという看板を背負っていたことで、無意識のうちに上から目線の態度を取ってしまい、代理店側から苦言を呈されたことがあった。ビジネスの関係において、契約上の立場の違いはあっても、人としての上下関係はない。この失敗は、後に自分が経営に近い立場になったときにも、繰り返し思い出す教訓になっている。

こうした経験を積み重ねる中で、最終的にはチームリーダーのポジションを任されるまでになった。フィリピンへ渡る前には、マネージャーへの打診も受けていた。リーダーになってからは、個別の代理店を担当するのではなく、チーム全体を管理する立場になり、代理店向けのインセンティブ設計や営業企画も担当するようになった。この経験は、今のマネジメントの考え方に直結している。

当時の自分は、営業力にはそれなりの自信を持っていた。1社目での飛び込み営業の経験もあり、人と話すこと、関係を築くことには一定の手応えがあった。ただ、「どう売るか」という仕組みの部分、つまりマーケティングの知識やスキルは、完全に欠けていた。個人として、会社の看板がなくても戦える武器を持っていない。この危機感が、次の決断につながっていく。

当時担当していたのは、店舗向けのマーケティングツールの代理店営業だった。最大100社近い代理店とのやり取りを通じて、営業企画や販売戦略、インセンティブ設計といった仕事にも関わらせてもらえた。仕事自体は充実していたし、成果も出せていた。それでも、「この成果は、LINEという看板があったからこそ出せたものではないか」という疑問が、ふとした瞬間に頭をよぎるようになっていた。会社の看板を借りて出した成果と、個人の実力で出した成果を、自分の中でうまく切り分けられなくなっていたのだと思う。

会社の指示ではなく、自分から志願してフィリピンへ

フィリピンへの移住は、会社の辞令ではなく、自分から志願したものだった。理由は、さきほどの危機感を埋めるためだ。

これからの時代に必要なのは、グローバルに通用する英語力と、体系的なマーケティングの知識だと考えた。日本国内で働きながらこの2つを同時に身につけるのは難しいと感じ、思い切って海外に飛び出すことを選んだ。周囲からは「なぜ今のポジションを手放すのか」と驚かれることも多かったが、このまま同じ環境にいても、看板に頼らない個人のスキルは身につかないという確信の方が強かった。振り返れば、この時の決断は、安定を捨ててでも個人の力を積み上げたいという、当時の自分なりの覚悟の表れだったと思う。

ただ、移住した直後にコロナ禍が始まった。セブ島にいた日本人の多くが帰国し、周りに残ったのはごく一部の日本人と、現地のフィリピン人だけになった。外出もままならない状況が続き、正直なところ、強い孤独感を味わった時期だった。当初思い描いていた「海外で刺激的な生活を送りながらスキルを磨く」というイメージとは、かなり違う現実が待っていた。今振り返れば、あのタイミングで飛び込んでいなければ、その後の経験は全く違うものになっていたと思う。

フィリピン人10人とのシェアハウス生活で得たもの

孤独感の一方で、この時期には大きな学びもあった。コロナ禍の期間中、フィリピン人10人ほどと一緒にシェアハウスで生活する経験をしたのだ。

日本と違う生活習慣、価値観、時間の感覚。良い意味でのカルチャーショックを何度も受けた。日本にいるだけでは絶対に得られない視点が、この共同生活の中で少しずつ蓄積されていった。同時に、英語も全くのゼロから始め、1日8時間ほど勉強を続けた結果、ビジネスの場でも使えるレベルまで引き上げることができた。

孤独と学びは、多くの場合セットでやってくる。あの時期の孤独感がなければ、これほど英語学習に時間を割くこともなかったかもしれない。

初めて英語で商談やプレゼンをしたときの緊張と喜び

英語をゼロから学び始めて、実際にビジネスの場で使う日はすぐにやってきた。初めて英語で商談やプレゼンをしたときのことは、今でもよく覚えている。正直、めちゃくちゃ緊張した。フィリピン人スタッフの採用面接も英語で行っていたので、場数自体はそれなりに踏んでいたはずだったが、それでも緊張感は毎回あった。

ただ、緊張よりも強かったのは、「できるようになっている」という成長実感の方だった。数ヶ月前まで日常会話すら怪しかった自分が、実際にビジネスの場で英語を使って人を動かせている。この実感は、それまでのどんな達成感とも種類が違うものだった。語学学習は成果が見えにくいと言われることが多いが、実際の商談という緊張感のある場に身を置いたことで、成長のスピードが一気に上がった感覚がある。

振り返ると、この経験から学んだのは「完璧になってから挑戦する」のではなく「挑戦しながら完璧に近づけていく」という順番の大切さだった。日本にいた頃の自分なら、ある程度英語に自信が持てるまで、実際の商談の場に立つことを避けていたかもしれない。しかし、フィリピンという環境に身を置いたことで、準備が整うのを待つ余裕そのものがなかった。結果的に、この「まず場に立ってしまう」という経験の積み方が、後にAIツールという新しい技術と向き合うときの姿勢にも通じている。

この経験は、今のブログとどうつながっているか

こうして振り返ってみると、今このブログでAI活用や副業、スクール選びについて発信していること自体が、フィリピンでの0からの経験と地続きになっていることに気づく。当時、未経験のまま広告運用やSEOを一人で学んでいったプロセスと、今AIツールを使って新しい情報発信の形を模索しているプロセスは、根っこの部分でよく似ている。

違うのは、当時は情報も少なく、手探りで進むしかなかったのに対して、今はAIという心強い相棒がいることだ。ただし、以前の記事(AI副業はやめとけ?続けていい人の見分け方)でも書いた通り、AIに方向性まで委ねてしまうと、せっかくの経験や一次情報が活きなくなってしまう。フィリピンで学んだ「自分で調べ、試し、失敗しながら進む」という感覚は、AIをどれだけ活用する時代になっても、変わらず大事にしたいと思っている。

もう1つ、当時の経験から今に活きていることがある。それは、「専門外の領域に飛び込むときほど、相手の立場を理解する作業を惜しまない」という姿勢だ。医療従事者向けの事業を立ち上げたときも、畑違いの業界に飛び込むにあたって、時間をかけてインタビューや調査を重ねた。今、スクールレビューの記事を書くときも、同じように「利用者側の視点」と「作る側の視点」の両方を意識するようにしている。この姿勢は、フィリピンでの経験がなければ身につかなかったものだと思う。

振り返ってみると、当時の自分に足りなかったのは知識や経験だけではなく、「分からないことを分からないまま放置しない」という粘り強さだったのかもしれない。医療業界のことも、英語も、マーケティングの手法も、最初は何も分からなかった。それでも1つずつ調べ、聞き、試すことを続けた結果、少しずつ形になっていった。この積み重ね方自体が、今も変わらず自分の仕事の進め方の基本になっている。

さらに言えば、フィリピン人メンバーのマネジメントで学んだ「個別化」の考え方も、実は今のブログ運営に活きている。読者は一人ひとり、抱えている悩みも、AIに対する知識レベルも違う。「全員に同じ内容を届ければいい」という発想では、本当に必要としている人には届かない。誰か一人の顔を思い浮かべながら、その人に向けて具体的に書く。これは、チームマネジメントで学んだ考え方を、そのまま情報発信に応用している感覚に近い。

英語学習の経験も同様だ。ゼロから8時間ずつ勉強を積み重ねた経験は、今AIツールという新しい技術に向き合うときの姿勢にもつながっている。新しいものに対して身構えすぎず、まずは触れてみて、失敗しながら使い方を掴んでいく。この感覚は、語学でもマーケティングでもAIでも、結局は同じなのだと思う。

ゼロから立ち上げた事業で、初めて売上が生まれた瞬間

フィリピンでの本題は、未経験のままオンライン事業のマーケティングを一人で担当することだった。英会話のオンラインスクールという事業で、規約作成、営業資料の作成、当時トレンドになっていたオンラインセミナーの立ち上げ、広告運用、SNS運用まで、ほぼすべての工程を一人で担当した。誰かに教わりながら進められる環境ではなく、必要な知識はその都度自分で調べ、試し、失敗しながら身につけていくしかなかった。

この事業のターゲットは、医療従事者だった。自分自身には医療業界の経験が一切なかったため、まずはペルソナの解像度を上げるところから始める必要があった。実際に医療従事者へのインタビューを重ね、業界特有の悩みや言葉遣いを理解しようと努めた。畑違いの業界に飛び込んで、相手の立場に立って言葉を選ぶ作業は簡単ではなかったが、この地道な作業が、後の営業資料やセミナー内容の説得力に直結していったと感じている。当時は「なぜここまで手間をかけるのか」と自問することもあったが、振り返れば、この手間こそが差別化の源泉になっていた。

そして、その事業で初めて売上が生まれた瞬間は、今でもはっきり覚えている。ゼロから作ったものが、初めて数字として形になった瞬間の喜びは、それまでのどんな経験とも違うものだった。それまで積み重ねてきた資料作成やセミナー準備、広告の試行錯誤が、ようやく一つの結果につながった実感があった。マーケティングの基礎、つまりSEOもSNS運用も広告運用もセミナー運営も、すべてを事業会社の中で実践を通じて学べたことは、今の自分の土台になっている。

フィリピン人メンバーのマネジメントで直面した壁

事業が形になっていく過程で、もう一つ大きな壁にぶつかった。フィリピン人メンバーを含む組織のマネジメントだ。日本とフィリピンでは、マネジメントの前提が根本的に違う。例えば、フィリピンでは人前で叱ってはいけないという文化がある。また、日本人同士であれば「空気を読む」「言いたいことを察する」といった暗黙のコミュニケーションが機能する場面でも、フィリピン人メンバーに対しては、1から100まで具体的に指示を出さなければ伝わらないことが多かった。

最初はこの違いに戸惑い、なかなか思うようにチームが動かない時期もあった。良かれと思って出した指示が伝わっていなかったり、日本での経験則がそのまま通用しなかったりすることが何度もあった。試行錯誤する中でたどり着いたのが、「個別化」という考え方だ。全員に同じマネジメントスタイルを求めても、うまくいかない。それぞれの強みや特性に合わせて、コミュニケーションの取り方や任せる仕事を変えていく必要がある。マネジメントの目的は、チームとして成果を出すことであり、そのためには一人ひとりのパフォーマンスを最大化させる工夫が欠かせない。この学びは、後にセールスマネージャーやセールス&マーケティング&CSマネージャーとして組織を率いる立場になったときにも、繰り返し役に立つことになった。

経営に近い立場になって、見えている景色が変わった

セールスマネージャーから執行役員という立場に近づくにつれて、以前とは明らかに違う景色が見えるようになってきた。以前の自分は、あくまで一人のサラリーマンとしての視点しか持っていなかった。しかし今は、会社としての判断を求められる場面が格段に増えている。

例えば、本当は契約を続けたい業務委託のメンバーであっても、会社全体の状況を踏まえて契約を解除しなければならない判断を下すこともある。事業全体の損益を見ながら、どこに投資すべきか、どんな体制を組むべきかを、感情を挟まずに逆算して考える必要がある。会社を存続させ、成長させるという軸を最優先にした判断が求められる場面が増えてきたのだ。

一人の人間として、あるいは一人のサラリーマンとしての感覚を持ちながらも、経営者としての視点も同時に持つ。この2つの視点を状況に応じて切り替えられる柔軟性は、以前の自分には持ち得なかったものだ。今振り返ると、名古屋の代理店で経験した「関係構築とマネジメントの両立」や、フィリピンで経験した「個別化されたマネジメント」の積み重ねが、この視点の転換につながっているように思う。

この視点の変化は、正直なところ、居心地の良いものばかりではない。一人のメンバーとして仕事に打ち込んでいた頃は、目の前の成果を出すことだけに集中できていた。しかし経営に近い立場になると、目の前の成果だけでなく、その先にある会社全体への影響までを考えなければならない。時には、感情的には割り切れない判断を下さなければならない場面もある。この難しさと向き合い続けることも、今の自分に求められている役割の一つだと感じている。

振り返って、誇りに思っていること

1社目での営業成績、2社目の大手企業での学び、そしてフィリピンでの0からの立ち上げ経験。それぞれのフェーズで、誇りに思える瞬間があった。

1社目では、飛び込み営業という厳しい環境の中でも、社内のプレゼン大会で上位の成績を残せたことが今でも記憶に残っている。2社目のLINEでは、名古屋の代理店をゼロから一緒に育て、担当者や社長から直接感謝の言葉をもらえた経験が大きな自信になった。同時に、看板に頼って態度が大きくなってしまった失敗も、正直な学びとして残っている。そしてフィリピンでは、英語もマーケティングも本当にゼロの状態から、事業を形にするところまで一通り経験できた。特に、フィリピン人メンバーのマネジメントで直面した文化の壁を乗り越え、個別化という考え方にたどり着けたことは、今の自分のマネジメントスタイルの核になっている。

共通しているのは、どの経験も「与えられた環境の中で、できることを探し続けた結果」だということだ。飛び込み営業で断られ続けた経験も、大手企業で感じた危機感も、海外での孤独も、当時は決して楽しいものではなかった。ただ、その一つひとつが、今の自分を形作る材料になっている。振り返れば、順調に見える道のりよりも、こうした遠回りや葛藤の方が、結果的に多くを教えてくれたように思う。

正直に言えば、誇りに思える経験の裏には、必ず反省すべき失敗も存在する。名古屋の代理店での成功の裏で、看板に頼って態度が大きくなってしまった時期があったように、成果を出すことと、謙虚さを保つことは、決して自動的には両立しない。この失敗を覚えているからこそ、今このブログで発信するときも、「作る側の経験がある」という立場に驕らず、読者と同じ目線で書くことを心がけている。経営に近い立場になった今も、この意識は変わらず持ち続けたいと思っている。

このブログで発信しているAI活用や副業、スクール選びについての情報も、こうした遠回りの経験があってこそ、実感を持って書けるものになっていると思っている。これから何かに挑戦しようとしている人にとって、この振り返りが少しでも参考になれば嬉しい。数字や手法だけでは伝わらない部分を、少しでも共有できていたら幸いだ。

もし今、何か新しいことに挑戦しようか迷っているなら、まずは「今の環境で自分に何が足りないか」を、一度紙に書き出してみてほしい。その足りないものを埋めるための一歩は、案外、今日から踏み出せるものかもしれない。当時の自分がフィリピン行きを決めたときも、完璧な準備が整っていたわけではなかった。足りないものが分かった時点で、動き出すことの方が、結果的に近道になることもある。

知識も経験も足りない中で、それでも一歩を踏み出せるかどうか。その差が、1年後の自分を大きく変える。今日紙に書き出した「足りないもの」を、来週までにどう埋めるか、具体的な行動を1つだけ決めてみてほしい。完璧な計画を立てる必要はない。小さな一歩でも、動き出したかどうかが、半年後、1年後の景色を変えていく。

Webマーケター / AI活用ブロガー

新卒で福利厚生アウトソーシング企業に入社し、法人営業として1日100件以上の飛び込み営業を経験。その後LINE株式会社で代理店営業に従事し、新規事業の立ち上げノウハウを学ぶ。2020年、未経験のままフィリピンへ移住し、オンライン教育事業のWebマーケティングを一人で担当することに。広告運用・SEO・SNS運用・LP制作などを実務で習得しながら、事業をゼロから育ててきた。現在は同社の経営陣として、セールス・マーケティング・カスタマーサクセスを統括している。本ブログでは、実務で得た知見をもとに、AI活用・副業・スクール選びについて発信中。

ショイスをフォローする
経験談
シェアする
ショイスをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました